南海バスの高速バス「サザンクロス」の歴史と 現有車両一覧 <2022年冬版>

夜行バス,昼行高速バス

大阪府堺市に本社を置き、大阪府南部で路線バスや特定輸送事業を行う南海バス株式会社
当時の南海電気鉄道(以下:南海電鉄)自動車部より2001(平成13)年10月に南海電鉄の100%子会社として分離・発足したバス会社で、昨年2021(令和3)には会社発足20周年を迎えました。

南海バス まとめ4枚

現在は、南海電鉄各線沿線や泉北高速鉄道沿線および阪和線沿線より一般路線バスや高速バス、関西国際空港への空港リムジンバスを運行している他、大阪駅・難波駅より南海高野線沿線及び泉北高速鉄道沿線、中百舌鳥駅から泉北高速鉄道沿線への深夜急行バスも運行(現在はコロナ禍の影響で運休中)しています。

その中でも、今回この記事で取り上げるのは、ズバリ「高速バス」
とりわけ、大阪・神戸・京都を拠点に全国各地へ運行している高速バス「サザンクロス」を取り上げます。

南海バス「サザンクロス」長岡線 ・518 なんば高速BT改札中
なんば高速バスターミナルにて発車を待つ南海バス「サザンクロス」長岡線

「サザンクロス」は、南海電鉄本体の時代から実に30年以上の歴史を誇る、高速バスとしては比較的老舗の部類に入ります。
また、東京急行電鉄(→東急バス)とともに、高速バスの愛称を統一した「はしり」の事業者ともいえます。

今回は、この南海バスの高速バス「サザンクロス」の歴史をいま一度ふり返るとともに、現在運行している路線及び車両について改めてご紹介します。

バブル期に急拡大する路線網

南海バス「サザンクロス」の歴史は、まさしく「スクラップ&ビルド」の歴史といっても過言ではありません。
その歴史を、路線毎にふり返ります。

路線第1号は「和歌山~渋谷線」

「サザンクロス」第1号路線は、1988(昭和63)年10月25日に東京急行電鉄(→東急バス、以下:東急)と共同で運行を開始した「和歌山~渋谷線」です。

南海バス「サザンクロス」和歌山線 ・・71
南海電鉄「サザンクロス」和歌山~渋谷線

東急は「ミルキーウェイ」南海電鉄は「サザンクロス」と、運行事業者によって異なる愛称を採用。
のちに両社はそれぞれの愛称で高速路線を全国各地に展開していくことになります。

車両は、3列&4列シート30人乗りという、当時としては珍しいシート配列を採用。
車内に飲料水の自動販売機を備えるなど、意欲的な車内設備も「売り」のひとつでした。

利用率は好調に推移していましたが、夜行高速バスの運行コストが年々増大するにつれて、特に東京側の事業者では乗車率が高いにもかかわらず利益率が低下。
そのため、東急バスは1998(平成10)年9月30日をもって夜行高速バスから全面撤退することになり、代わりにJRバス関東が運行に参入、「ドリーム和歌山号」として再出発します。(南海側では引き続き統一愛称「サザンクロス号」を使用。)

2001(平成13)年10月1日には、南海電鉄のバス事業分社化により、南海バスへ移管。
さらに、南海バスの地域分社化により、2004(平成16)年4月1日付で南海ウイングバス南部へ移管されます。

その後、JRバス関東の運行撤退、御坊南海バス(→熊野御坊南海バス)の運行参入と撤退、「ドリームなんば・堺号」(後述)との路線統合などを経て、現在は南海ウイングバスが「サザンクロス和歌山号」として運行しています。


初の昼夜路線 「なんば~富山線」

「和歌山~渋谷線」運行開始の約8か月後、1989(平成元)年6月25日に2路線目の「なんば~富山線」富山地方鉄道と共同で運行を開始します。
系統キロが約370キロということもあり、運行本数は昼夜各1往復の2往復体制でした。

車両は、当時「関越高速仕様」といわれた4列シート34人乗り車(日産ディーゼル「スペースウィング」)を投入。
4列シートながらもシートピッチを広くとっていたのがこの車両の特徴でした。

しかしながら、当時の名神高速道路や阪神高速道路での慢性的渋滞が深刻だったこと、大阪側のりばのアクセス面での不便さなどが足かせとなり、開業当初より利用率は低迷します。

1990(平成2)年と1992(平成4)年にダイヤ改正を実施し、テコ入れを施したものの、乗客増にはつながらず、1994(平成6)年6月に昼便を廃止し、夜行便のみの運行に変更。
その後も、湊町バスターミナル(なんばOCAT)乗入れや天王寺駅延長を行うも、状況が好転することはなく、1998年には南海電鉄が運行から撤退、2001年2月には路線そのものが運行終了となりました。

その後、富山地方鉄道は阪急バスとの共同運行で「大阪梅田~富山線」を新設し運行を開始、現在に至っています。


初の九州方面路線「堺・なんば~佐世保線」

3路線目は、初の九州方面路線となる「堺・なんば~佐世保線」
1989(平成元)年7月24日に西肥自動車(「コーラルエクスプレス」)と共同で運行を開始しました。

運行開始当初は佐世保発着でしたが、ハウステンボス開設に伴い、のちにハウステンボス発着に変更されます。

2006(平成18)年7月には、神戸三ノ宮への乗り入れを開始。
更に、2012(平成24)年7月20日からは、大阪駅前(桜橋口アルビ前→桜橋口JR線高架下)への乗り入れを開始しますが、利用客の減少による採算悪化などの理由により、2013(平成5)年9月30日をもって運行を終了します。


南海バス「サザンクロス」佐世保線 ・110
南海バス「サザンクロス」佐世保線(三菱エアロクイーンM)

堺~東京直行便 「堺~新宿・東京線」

4路線目は、大阪市内を経由せずに堺市と東京都内を直行する「堺~新宿・東京線」
1989(平成元)年10月8日にJRバス関東西日本JRバスと共同で運行を開始しました。

JRバス「ドリーム号」の新路線として開設した経緯から、JRバス2社は「ドリーム堺号」と路線愛称が異なっていました。
また、運行経路の都合上、この路線の堺側起終点は南海堺駅前になっていました。(他の「サザンクロス」堺発着路線は南海堺東駅前が起終点。)

運行開始当初は利用率が好調に推移していましたが、次第に利用客数が減少したことから、2002(平成14)年9月2日に後述の「ドリームなんば号」と路線を統合、堺側の起終点を南海堺駅前からJR堺市駅前に変更します。

その後、JRバス2社の運行撤退や「ドリーム和歌山号」「サザンクロス」和歌山~東京線との統合などを経て、現在は南海ウイングバスが「サザンクロス和歌山号」(和歌山・なんば~新宿・東京線)として運行しています。


南海バス「サザンクロス」東京線 ・557
南海バス「サザンクロス」東京線(「ドリームなんば・堺号」)。
一時期、2階建てバス(三菱エアロキング)を投入していた。

初の昼行オンリー路線 「堺・なんば~岡山・倉敷線」

5路線目は、「堺・なんば~岡山・倉敷線」
1989(平成元)年12月1日に両備バス(→両備ホールディングス)と共同で運行を開始しました。

南海電鉄としては初の昼行便のみの路線でしたが、車両運用の関係から、使用された車両は3列独立シート29人乗りの夜行高速仕様車でした。

1日2往復体制で運行を開始しますが、のちに南海電鉄は運行から撤退。
両備バスによる単独運行に移行後、現在は吉備エクスプレス大阪号(西日本ジェイアールバス、下津井電鉄)との共同運行になっています。

因みに、一度岡山から撤退した南海電鉄ですが、南海バス発足後に関西空港リムジンバス「Sorae」として岡山への再乗り入れを実現しています。


スキーリゾートへ直行 「なんば~長野・志賀高原線」

6路線目は、スキーリゾートとして有名な志賀高原へ直行する「なんば~長野・志賀高原線」
1989(平成元)年12月10日に長野電鉄(→長電バス、「ナガデンエクスプレス」)と共同で運行を開始しました。

大阪~長野間においては、のちに運行を開始する「アルペン長野号」(阪急バス・川中島バス→アルピコ交通)と競合関係に。
この頃から、競合路線にぶつける形での路線開設が続くことになります。

車両は、3列独立シート29人乗りの夜行高速仕様でしたが、南海電鉄の一部車両には、スキー板を収納するスペースが車内後部に設けられていました。
このため、シートピッチが若干狭くなっていました。

運行開始から暫くは好調を保っていましたが、バブル崩壊後は乗車率が低下。
1998(平成10)年3月をもっていったん運行を終了しますが、6年後の2004(平成16)年6月11日に、長野側起終点を湯田中駅に変更した上で、格安路線(4列シート車運行路線)として運行を再開します。

その後は、使用車両の変更(4列シート車→3列独立シート車)や運行経路の変更、停留所の変更などを経て、現在は「神戸・大阪・京都~長野・湯田中・野沢温泉線」として運行を続けています。


南海電鉄「サザンクロス」長野線 ・124
南海電鉄「サザンクロス」長野線(日産U-RA520RBN 西工SD-Ⅰ)

なんば~東京直行便 「なんば~新宿・東京線」

7路線目は、大阪なんばと東京都内を直行する「なんば~東京線」
1989(平成元)年12月16日にJRバス関東西日本JRバスと共同で運行を開始しました。

JRバス「ドリーム号」の新路線として、また「ドリーム堺号」の姉妹路線として開設した経緯から、JRバス2社は「ドリームなんば号」と路線愛称が異なっていました。

こちらも、運行開始当初は利用率が好調に推移していましたが、次第に利用客数が減少したことから、2002(平成14)年9月2日に「ドリーム堺号」と路線を統合、起終点をなんばからJR堺市駅前に変更します。

その後、JRバス2社の運行撤退や「ドリーム和歌山号」「サザンクロス」和歌山~東京線との統合などを経て、現在は南海ウイングバスが「サザンクロス和歌山号」(和歌山・なんば~新宿・東京線)として運行しています。


「サザンクロス」最長路線の誕生 「堺・なんば~鹿児島線」

8路線目は、九州方面としては2路線目になる「堺・なんば~鹿児島線」
1990(平成2)年3月22日に林田産業交通(→林田バス→いわさきバスネットワーク)と共同で運行を開始しました。

この路線、当時としては東京~岡山・倉敷線とともに日本初であろう「トリプルトラック」路線として注目された他、系統キロ約935kmは「サザンクロス」最長路線でもありました。

また、この路線においては、路線愛称を統一。
林田産業交通の車両にも「SOUTHRN CROSS」のロゴがペイントされていました。


林田産業交通「サザンクロス」 ・676
林田産業交通の高速用車両にも「サザンクロス」のロゴがペイントされていた。

大阪南部及び鹿児島中心部・伊敷方面を主な集客のターゲットとしていましたが、トリプルトラック路線ということもあってか、繁忙期を除くと利用率が延びなかったことから、1994(平成6)年には近畿日本鉄道(→近鉄バス)・鹿児島交通(→南九州バスネットワーク)陣営の「トロピカル号」と統合、なんば起終点に変更します。
 
1999(平成11)年には、南海電鉄・林田バスが運行から撤退。

更に、2006(平成18)年には、南九州バスネットワークの会社解散に伴う運行撤退により、以降は近鉄バス1社で単独運行していましたが、2016(平成28)年9月末日を以って運行を終了。
これにより、大阪~鹿児島間の夜行高速バスは完全に無くなりました。

尚、「堺・なんば~鹿児島線」運行開始から10日後の1990(平成2)年4月1日には、南海サウスタワーホテル大阪(→スイスホテル南海大阪)5階玄関前に「南海なんば高速バスターミナル」がオープン。
「サザンクロス」のなんば発着場所が、旧大阪球場前から同バスターミナルに移転しました。


初の四国方面路線 「堺・なんば~松山線(どっきん松山号)」

9路線目は、初の四国方面路線となる「堺・なんば~松山線」
1990(平成2)年8月10日に西日本JRバス・JR四国(→JR四国バス)と共同で運行を開始しました。

当時、JR四国が「どっきん四国」というキャンペーンを行っており、JR側はこのキャッチフレーズからとった「どっきん松山号」を路線愛称として採用。
南海電鉄も、この「どっきん松山号」を副愛称として採用し、路線パンフレットにも「サザンクロス(どっきん)松山」と記載されていました。

車内は、3列独立シート29人乗りの夜行高速仕様。
並行する「オレンジライナーえひめ」(阪急バス・伊予鉄道→伊予鉄バス)とほぼ同仕様でしたが、知名度不足などの影響で利用率が思う様に伸びなかったことなどから、1992(平成4)年2月28日をもって運行を終了しました。


南海電鉄「サザンクロス どっきん松山号」 113
南海電鉄「サザンクロス(どっきん松山号)」

初の関西~福井直通路線 「なんば~福井・芦原温泉線」

10路線目は、初の関西~福井間直通路線でもある「なんば~福井・芦原温泉線」
1990(平成2)年10月16日に京福電気鉄道(→京福バス)・福井鉄道と共同で運行を開始しました。

運行開始当初は、なんば~福井系統が1日3往復、なんば~芦原温泉系統が1日2往復体制で運行していましたが、当時の名神高速道路や阪神高速道路での慢性的渋滞が深刻だったこともあり、開業当初より利用率は低迷。
1992(平成4)年には、なんば~芦原温泉系統(2往復)を廃止するなどのテコ入れを行いますが、その後も利用率が改善することはなく、1993(平成5)年3月31日をもって運行を終了します。

尚、2007年(平成19年)12月22日からは、阪急バス(→阪急観光バス)・京福バス・福井鉄道の3社で大阪(梅田)~福井線を運行、現在に至っています。


九州最大の都市「福岡」へ初乗り入れ 「堺・なんば~博多・前原線(サザンクロス博多号)」

11路線目は、九州最大の都市「福岡」への乗り入れを実現させた「堺・なんば~博多・前原線」
1990(平成2)年11月15日に西日本JRバス昭和自動車JR九州(→JR九州バス)と共同で運行を開始しました。

この路線においては、路線愛称を「サザンクロス博多号」に統一していました。

当時は、高速バス路線開設ブームの真っ只中。
とりわけ、当時の大阪~福岡間夜行高速バスにおいては、阪急バス(→阪急観光バス)と西日本鉄道が運行していた「ムーンライト号」の独壇場でした。

この様な中で、JR九州ではバス部門の強化のために高速バス運行にいくつか参入。
「サザンクロス博多号」も、「ムーンライト号」に対抗する形で開設されました。

ただし、既に利用が定着している「ムーンライト号」と全く同様の設定では立ち行かないと判断。
大阪側での発着地をなんば・堺としたことにより、南海電鉄も参入することになりました。
また、福岡側では、天神への乗り入れに代わるものとして、前原市を起点とすることとなったことから、昭和自動車も参入することになりました。

そして、筑前前原駅から先は、筑肥線を利用することで唐津市からの需要も取りこむことを想定したことから、筑肥線に「サザンクロス博多号」とセットで割り引くという往復割引運賃を設定。
この往復割引乗車券と「サザンクロス博多号」の往復割引運賃を合計すると、既に阪急バス・西日本鉄道・昭和自動車が運行していた「サガンウェイ号」と同額になるように設定されていました。

しかしながら、福岡中心部「天神」を経由しないことに加え、営業力の差などから乗客数は低迷します。
とりわけ、福岡においては南海電鉄・JR九州バスの知名度が低く、宣伝力も「ムーンライト号」には遠く及ばない状態といわれていました。

結局、運行は長続きせず、1992(平成4)年9月28日をもって運行を終了しました。


ありそうでなかった大阪~広島直行便 「堺・なんば~広島・呉線」

12路線目は、大阪と広島を直通する「堺・なんば~広島・呉線」。
1990(平成2)年12月25日に中国JRバスと共同で運行を開始しました。

運行開始当初は夜行1往復のみの運行でしたが、のちに運行区間をあべの・なんば~広島間に変更し、昼行便を新設。
昼行便を「ヴィーナス号」、夜行便を「サザンクロス号」と名乗っていました。

ところが、その後、中国JRバスが西日本JRバスと共同で「大阪~広島線」(「山陽道昼特急広島号」「山陽ドリーム広島号」)を開設したことから、「あべの・なんば~広島線」とダブルトラック状態になります。

2010(平成22)年1月31日をもって、中国JRバスは「あべの・なんば~広島線」の運行から撤退、南海バス単独運行に変更します。
併せてダイヤ改正を実施しますが、利用率が改善することはなく、2013(平成25)年8月8日をもって運行を終了しました。


南海バス「サザンクロス」広島線 ・675
広島駅新幹線口にて発車を待つ南海バス「ヴィーナス号」(昼行便)

日本最大級のテーマパークに直行 「和歌山・泉佐野~TDL・千葉線」

13路線目は、和歌山から千葉へ直通する「和歌山・泉佐野~TDL・千葉線」
1991(平成3)年8月8日に和歌山バス京成電鉄(→京成バス)と共同で運行を開始しました。

日本最大級のテーマパーク「東京ディズニーランド」および千葉方面へのアクセス目的で開設されましたが、1998(平成10)年には、和歌山バスと神奈川中央交通が共同運行していた「和歌山~横浜線」と路線を統合、南海電鉄と神奈川中央交通は運行から撤退します。

そして、2009(平成21)年4月16日には、京成バスがグループ子会社の成田空港交通へ運行を移管、現在に至っています。


フェリー経由で徳島へ 「なんば・梅田・神戸~徳島線」

14路線目は、後にドル箱路線にまで成長することになった「なんば・梅田・神戸~徳島線」です。
1996(平成8)年3月19日に阪神電気鉄道(→阪神バス)「サラダエクスプレス」徳島バス「エディ号」と共同で運行を開始しました。

運行開始当初は、南海と阪神が各1往復、徳島バスが2往復の計4往復体制で運行していました。
この頃は、明石海峡大橋が開通していなかったことから、神戸市須磨区~東浦町(現:淡路市)間は淡路フェリーボートを利用。
バスごとフェリーに乗船するという、全国でも珍しい高速バスとして知られていました。

その後、1998(平成10)年4月5日に明石海峡大橋が開通したことに伴い、翌4月6日に運行ルート変更。
大阪発着系統と三宮発着系統に系統を分割します。(三宮発着便は、阪神電気鉄道(→阪神バス)・神姫バス・山陽電気鉄道(→山陽バス)・徳島バスの4社が運行。)
同時に、阪急バスが大阪発着系統参入し、大阪梅田(阪急三番街)高速バスターミナルに乗り入れると同時に、大増発を実施します。

2010年7月16日からは、一部便が石井へ延長。
加茂名・石井の各バス停を新設し、現在に至っています。


南海電鉄「サザンクロス」徳島線 ・・71
運行開始当初の南海電鉄「サザンクロス」徳島線。
かつての「サザンクロス」富山線専用車が転用され、運用に充てていた。

南海バス「サザンクロス」徳島線 ・875
明石海峡大橋開通後に導入された南海バス「サザンクロス」徳島線用車両。
車内は4列シート40人乗りトイレ付き仕様になっていた。

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