【アーカイブ】西日本鉄道「どんたく号」 西工02MC SD-Ⅰ
1989(平成元)年12月の運行開始以来、約29年間、名古屋と福岡の間を結び続けている夜行高速バス「どんたく号」。
名鉄バス(本社:名古屋市)と西日本鉄道(本社:福岡市、以下:西鉄)の2社が共同で運行し、現在も多くの方に利用されている老舗夜行高速バスであります。
「どんたく号」といえば、最近では名鉄バスが導入を進めているハイグレード車両「プレミアムワイド」が注目されていますが、かつては西鉄が導入していた西日本車体工業(以下:西工)製の夜行高速車両が、車内居住性の良さなどから注目されていました。
私自身、「どんたく号」は名鉄バス便、西鉄便ともに何度も利用して来ましたが、回数で比較すると圧倒的に西鉄便の利用が多かった気がします。
実はこの度、2007(平成19)年~2008(平成20)年に乗車した時に撮影した画像が複数枚出てきましたので、今回の記事ではその時の模様を今一度ふり返りたいと思います。
西鉄では最後の西工製夜行高速用車両「西工02MC SD-Ⅰ」
今回ご紹介する西鉄の「西工02MC SD-Ⅰ」がデビューしたのは2005(平成17)年の夏。2台(4011号車と4012号車)導入され、当時は、東京線「はかた号」や名古屋線「どんたく号」、そして今は無き大阪線「ムーンライト号」などで活躍しましたが、その後、三重交通へのレンタル(4012号車のみ)などを経て西鉄高速バス(本社:福岡市)に移籍し、現在は九州島内夜行路線(鹿児島線「桜島号」、福岡~宮崎夜行線)の予備車として在籍しています。
今回ご紹介する2007(平成19)年~2008(平成20)年当時は、名古屋線「どんたく号」や大阪線「ムーンライト号」での運用が目立った時期でもありました。
九州での私用を済ませ、福岡で1泊したあと、福岡市内を回って乗車したバスがこちら。(※許可を得た上で、安全に配慮して撮影しています。)
西鉄の福岡~名古屋線「どんたく号」4012号車(三菱PJ-MS86JP)です。
2007(平成19)年12月の乗車以来、約4ヶ月ぶりの乗車になりますが、当時はこの車両に当たる事が多かった気がします。
週末という事もあってか、車内は満席。
相変わらずの乗車率の高さです。
車内は、3列独立シート28人乗りの夜行高速仕様となっています。(写真はイメージです。)
メーカー純正車両とは違い、進行方向左側中央部にトイレが付いているのが、このタイプの車両の特徴。
このおかげで、メーカー純正車両よりもシートピッチを若干広く確保することが出来るのです。
コストダウン仕様車ということもあり、車内中央部のサービスコーナーは廃止されましたが、全席カーテンで仕切ることが出来るプライベートカーテンの装備は健在。
「眠り」を重点に置いた西工製夜行高速車のイズムは引き継がれています。
ぐっすり快眠で一路名古屋へ・・・
西鉄天神バスセンター(現:西鉄天神高速バスターミナル)を出発後、博多駅交通センター(現:博多バスターミナル)、黒崎インター引野口、砂津、小倉駅前と乗車扱いで停車していくのですが・・・・・なんと、この当時、引野口の待合所が新しくなっていました。
こじんまりとした印象はありますが、バス停車スペースも拡大され、乗車扱いで停車しているバスの影響で周辺道路が渋滞するといった悩みも少しは解消されそうです。
バスはめかりパーキングエリアで消灯前の休憩を取った後、プライベートカーテンをセットして消灯となります。
シートを倒して眠りにつきます。
フットレストに多少違和感を感じつつも、ほぼ爆睡状態。
翌朝の新名神高速道路御在所サービスエリア到着直前まで目を覚ますことはありませんでした。
休憩場所の御在所サービスエリアにて休憩中の西鉄「どんたく号」です。(写真はイメージです。) かつては名神高速道路経由であったため、朝は岐阜県の養老サービスエリアで休憩停車を行っていましたが、新名神高速道路開通による経路変更に伴い、名古屋側の開放休憩場所が変更されました。
サービスエリアでの休憩が終わり出発すると、約1時間程で栄に到着。
更に10分程走行して終点名鉄バスセンターに到着しました。
いつも思うことですが、西鉄乗務員の丁寧な接客には毎度のことながら好感が持てます。
今回乗車した「どんたく号」も非常に丁寧な案内で、福岡出発後の案内が終わってからも、車内を巡回して分からない事が無いかを確認していました。
ただただ感心するばかりです。
最後に
同人誌「The SD SD-Ⅰ&SD-Ⅱ ~時代を駆け抜けたMidnight Express~」にも少し書きましたが、かつて西日本地区を中心に活躍していた西工製夜行高速用車両の数も、年を追うことに減少し、現在は全国で僅か数台のみとなってしまいました。そんな中、1990年前半から2000年代後半にかけての20年弱の間は、夜行高速バスファンにとっては、ある意味「古き良き時代」だったのかもしれません。
特に、西工ファンにとっては「良い時代」であったことには間違いないでしょう。
「懐古主義」という言葉は個人的に好きではありませんが、この様な時代もあったということを心の中の思い出として残しておくことも、バスの歴史を考える上では必要なのではないかと思った次第です。
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