下北交通「むつ線」「佐井線」むつ~大間FT間 乗車記
「下北交通株式会社」。
元々の社名は「下北バス株式会社」で、バス事業のみを行なっていましたが、国鉄の特定地方交通線「大畑線」を引き継いで鉄道事業を行うことになったことから、1984年2月に「下北交通株式会社」に社名を変更しました。
鉄道路線「大畑線」は2001年に廃止され、再びバス専業に戻りましたが、社名は「下北交通株式会社」のまま、現在に至っています。
以前このブログで、国際興業の東京・大宮~八戸・三沢・むつ間夜行高速バス「しもきた号」の乗車記をお届けしました。
「しもきた号」に乗車後、陸路と航路で北海道へ戻ったのですが、ここではむつから大間へ移動した時の模様をご紹介します。
本来、むつから大間のフェリーターミナルへは、「佐井線」一本で移動出来るのですが、今回は途中の旧下北交通鉄道線大畑駅(現:大畑出張所)を見てみたいということもあって、大畑駅で途中下車するルートを選択しました。
やってきたのは、むつ市中心部に位置する下北交通むつバスターミナル。 年季が入った古めかしいバスターミナルですが、待合室の他、トイレ、案内所、売店が完備されています。
とはいえ、ご他聞に漏れずむつ市も市街地の空洞化は著しく、かつては賑わっていたであろうバスターミナル周辺は、寂しい雰囲気が漂っています。
バスターミナルを発車する「むつ市内線」です。(車両はいすゞU-LV324M 元淡路交通→南海バス)
まず乗車したのは、むつ~大畑間を結ぶ「むつ線」。
この路線、てっきり鉄道大畑線の代替路線かと思いきや、実はかつての下北駅~大畑間「下北駅線」の方が代替路線として運行されていたそうで、後に「下北駅線」「むつ線」「佐井線」3路線を整理・統合、現在は「佐井線」が鉄道大畑線の代替路線として位置づけられているそうです。
間も無くしてバスが入線。
こちら↓の車両に乗車しました。 元川崎市交通局のいすゞU-LV324K(富士7E)です。
まさかこの車両をむつ市内でお目にかかれるとは・・・。
10時25分、座席がほぼ埋まったバスは、むつバスターミナルを出発。
むつ中学校、エイワ前を経由し、国道279号線を大畑へ向けてひた走ります。
途中、国道から離れ、海岸線の浜関根を経由しますが、乗降客はおらず、むつバスターミナルを出発して40分後の11時05分に、バスは終点の大畑駅に到着しました。
「大畑駅」は、かつての旧国鉄大畑線の終着駅。
1985(昭和60)年に鉄路が下北交通大畑線として再出発し、暫くは旧国鉄線の代替鉄道路線として運行を続けていましたが、2001(平成13)年3月31日をもって運行を終了。
現在は下北交通のバスが地域の輸送を担っており、「大畑駅」は下北交通バス部門の大畑出張所として機能しています。
同線は、特定地方交通線が第三セクター企業ではなく、純民間資本の企業に引き継がれた希な例でありました。
と同時に、私鉄ではなくバス会社による鉄道引受としては唯一の例であるともいわれています。
一方で、廃止まで活躍していた車両「キハ85」(キハ85-1~3)は、大畑駅跡において民間の趣味者団体「大畑線キハ85動態保存会」により動態保存されており、冬季を除く週末には大畑駅構内で運転会も実施されるそうです。
興味がある方は、是非一度訪れてみては如何でしょうか。
大畑駅の発車時刻は12時10分。
出張所の待合室にてしばしバスを待ちます。
やがて、バスのりばに佐井車庫行きが到着です。
こちらのバス↓に乗車しました。 元南海バスの三菱エアロスターM(U-MP218M)です。
どことなく南海らしさを感じさせる外観です。
12時10分、定刻にバスは大畑駅を発車します。
ここからは、海岸線に沿って国道279号線をひた走ります。
右手には太平洋が一面に広がります。
天気が良いこともあってか、次々とカメラのシャッターを切りたくなりますね。
バスは下風呂、易国間、蛇浦などの集落で乗客を乗せ、一路大間へと向かいます。
纏まった乗降があったのは、大畑駅を出発して約40分後に到着した大間病院前。
通院する人、病院から大間・佐井方面へ戻る人が入れ替わります。
この路線も、病院への通院客がメインの客層なのでしょうか・・・。
更に走ること約10分程して大間崎に到着。
更に大間の市街地へと入り、定刻より約7分遅れでバスは大間フェリーターミナルに到着しました。 終点は更に約20分程走った佐井車庫ですが、ここでこのバスとはお別れ。
津軽海峡フェリーの新造船「大函丸」とシャトルバスで函館へと移動するのでありました。
今回、平日の乗車ということもあったのでしょうが、地元客を中心に多くの方が利用していたが印象に残りました。
一方で、客層を見てみると、殆どが高齢者。
下北地区に限ったことではないのですが、バスの車内や町並み、歩いている人を見ている限り、過疎化に加えて高齢化が想像以上に進んでいることも今回改めて知りました。
今は何とか路線を維持出来ている状況でしょうが、この先5年後、10年後、20年後に果たしてこの地域に路線バスが走っているのだろうか・・・。
もしかすると、下北地区の路線バスの大半が廃止されているのではないだろうか・・・。
廃止までとはいかないまでも、予約制デマンドバスに変わっているのではないだろうか・・・。
そんなことを車中で考えてしまいました。
私が住む北海道も例外ではなく、数十年後にはかなりの集落が限界集落になるだろうといわれています。
そうなった時に、果たして地元の足「路線バス」は果たしてどれ位残っているのだろうか・・・。
過疎化、高齢化、そして地域の足は確保されるのだろうか・・・。
地域の足を確保するのに、我々は何をしなければならないのか・・・。
単に「乗って残そう」運動だけでは維持出来る筈もありません。
では、どうすれば良いのか・・・。
未だに自分なりの明確な答えを出せずにいますが、今回の下北交通の乗り継ぎ移動で、改めて地域公共交通について考えさせられました。
地域公共交通の確保維持の問題、まだまだ勉強しないと駄目だなあと実感した次第です。
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青森県むつ市に本社を置き、北は大間・佐井から南は野辺地・青森まで、下北半島を主なエリアとするバス会社
元々の社名は「下北バス株式会社」で、バス事業のみを行なっていましたが、国鉄の特定地方交通線「大畑線」を引き継いで鉄道事業を行うことになったことから、1984年2月に「下北交通株式会社」に社名を変更しました。
鉄道路線「大畑線」は2001年に廃止され、再びバス専業に戻りましたが、社名は「下北交通株式会社」のまま、現在に至っています。
以前このブログで、国際興業の東京・大宮~八戸・三沢・むつ間夜行高速バス「しもきた号」の乗車記をお届けしました。
「しもきた号」に乗車後、陸路と航路で北海道へ戻ったのですが、ここではむつから大間へ移動した時の模様をご紹介します。
年季が入った下北交通むつバスターミナル
乗車したのは、下北交通の「むつ線」(むつ~大畑間)と「佐井線」(大畑~大間フェリーターミナル間)の2路線。本来、むつから大間のフェリーターミナルへは、「佐井線」一本で移動出来るのですが、今回は途中の旧下北交通鉄道線大畑駅(現:大畑出張所)を見てみたいということもあって、大畑駅で途中下車するルートを選択しました。
やってきたのは、むつ市中心部に位置する下北交通むつバスターミナル。 年季が入った古めかしいバスターミナルですが、待合室の他、トイレ、案内所、売店が完備されています。
とはいえ、ご他聞に漏れずむつ市も市街地の空洞化は著しく、かつては賑わっていたであろうバスターミナル周辺は、寂しい雰囲気が漂っています。
バスターミナルを発車する「むつ市内線」です。(車両はいすゞU-LV324M 元淡路交通→南海バス)
まず乗車したのは、むつ~大畑間を結ぶ「むつ線」。
この路線、てっきり鉄道大畑線の代替路線かと思いきや、実はかつての下北駅~大畑間「下北駅線」の方が代替路線として運行されていたそうで、後に「下北駅線」「むつ線」「佐井線」3路線を整理・統合、現在は「佐井線」が鉄道大畑線の代替路線として位置づけられているそうです。
間も無くしてバスが入線。
こちら↓の車両に乗車しました。 元川崎市交通局のいすゞU-LV324K(富士7E)です。
まさかこの車両をむつ市内でお目にかかれるとは・・・。
10時25分、座席がほぼ埋まったバスは、むつバスターミナルを出発。
むつ中学校、エイワ前を経由し、国道279号線を大畑へ向けてひた走ります。
途中、国道から離れ、海岸線の浜関根を経由しますが、乗降客はおらず、むつバスターミナルを出発して40分後の11時05分に、バスは終点の大畑駅に到着しました。
かつての鉄道終着駅「大畑駅」
「大畑駅」は、かつての旧国鉄大畑線の終着駅。
1985(昭和60)年に鉄路が下北交通大畑線として再出発し、暫くは旧国鉄線の代替鉄道路線として運行を続けていましたが、2001(平成13)年3月31日をもって運行を終了。
現在は下北交通のバスが地域の輸送を担っており、「大畑駅」は下北交通バス部門の大畑出張所として機能しています。
同線は、特定地方交通線が第三セクター企業ではなく、純民間資本の企業に引き継がれた希な例でありました。
と同時に、私鉄ではなくバス会社による鉄道引受としては唯一の例であるともいわれています。
一方で、廃止まで活躍していた車両「キハ85」(キハ85-1~3)は、大畑駅跡において民間の趣味者団体「大畑線キハ85動態保存会」により動態保存されており、冬季を除く週末には大畑駅構内で運転会も実施されるそうです。
興味がある方は、是非一度訪れてみては如何でしょうか。
海沿いを大間へ さらに航路で北海道へ
大畑出張所周辺を散策後、次に乗車したのは、下北駅11時15分発の「佐井線」佐井車庫行きです。大畑駅の発車時刻は12時10分。
出張所の待合室にてしばしバスを待ちます。
やがて、バスのりばに佐井車庫行きが到着です。
こちらのバス↓に乗車しました。 元南海バスの三菱エアロスターM(U-MP218M)です。
どことなく南海らしさを感じさせる外観です。
12時10分、定刻にバスは大畑駅を発車します。
ここからは、海岸線に沿って国道279号線をひた走ります。
右手には太平洋が一面に広がります。
天気が良いこともあってか、次々とカメラのシャッターを切りたくなりますね。
バスは下風呂、易国間、蛇浦などの集落で乗客を乗せ、一路大間へと向かいます。
纏まった乗降があったのは、大畑駅を出発して約40分後に到着した大間病院前。
通院する人、病院から大間・佐井方面へ戻る人が入れ替わります。
この路線も、病院への通院客がメインの客層なのでしょうか・・・。
更に走ること約10分程して大間崎に到着。
更に大間の市街地へと入り、定刻より約7分遅れでバスは大間フェリーターミナルに到着しました。 終点は更に約20分程走った佐井車庫ですが、ここでこのバスとはお別れ。
津軽海峡フェリーの新造船「大函丸」とシャトルバスで函館へと移動するのでありました。
最後に
というわけで、下北交通の「むつ線」「佐井線」の乗車記をお届けしました。今回、平日の乗車ということもあったのでしょうが、地元客を中心に多くの方が利用していたが印象に残りました。
一方で、客層を見てみると、殆どが高齢者。
下北地区に限ったことではないのですが、バスの車内や町並み、歩いている人を見ている限り、過疎化に加えて高齢化が想像以上に進んでいることも今回改めて知りました。
今は何とか路線を維持出来ている状況でしょうが、この先5年後、10年後、20年後に果たしてこの地域に路線バスが走っているのだろうか・・・。
もしかすると、下北地区の路線バスの大半が廃止されているのではないだろうか・・・。
廃止までとはいかないまでも、予約制デマンドバスに変わっているのではないだろうか・・・。
そんなことを車中で考えてしまいました。
私が住む北海道も例外ではなく、数十年後にはかなりの集落が限界集落になるだろうといわれています。
そうなった時に、果たして地元の足「路線バス」は果たしてどれ位残っているのだろうか・・・。
過疎化、高齢化、そして地域の足は確保されるのだろうか・・・。
地域の足を確保するのに、我々は何をしなければならないのか・・・。
単に「乗って残そう」運動だけでは維持出来る筈もありません。
では、どうすれば良いのか・・・。
未だに自分なりの明確な答えを出せずにいますが、今回の下北交通の乗り継ぎ移動で、改めて地域公共交通について考えさせられました。
地域公共交通の確保維持の問題、まだまだ勉強しないと駄目だなあと実感した次第です。
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